生きることは忘れること

競技ディベートは世界を変えない

まず始めに、競技ディベートはゲームとして面白いと思っておりまして、この観点について競技ディベートを貶すつもりはないことを言っておきます。ちなみに練習を積んでいる人による競技ディベートを見たのは今日が初めてですが、観戦していると背景にある両者の普段からのインプットがどんなものかが垣間見えて面白かった、というのが手短な感想です。あと、感想戦やったらどうかなーとも思いました。

さて、以下の内容は筆者による創作であり、したがってポジショントークでありますので、騙されてはなりません。ついでに免責ですが、ディベート詳しくないので、粗い所があっても目をつぶっていただけると幸いです(甘え)

論題:賛否両論の施策があるとして、それを今後どうすべきか決めるための議論には、(競技)ディベートを使うべきである。是か非か。

肯定側立論

私たちは、賛否両論の施策を今後どうするか決めるための議論には、ディベートを使うべきであると考えます。メリットを3点述べます。1.結論が明確。ディベートはルールとして最後に勝敗が定まるようになっているので、この勝敗という結果を議論の結論として採用できます。2.時間。ディベートは時間のフォーマットが厳密に定まっており、結論が出ずに延々と議論が続くということがありません。3.審判の存在による主張の明確化と議論の活性化。ディベートでは議論の両当事者とは別に置かれた審判が勝敗を判断するので、当事者は議論の相手ではなく審判を説得することになります。詭弁やごまかしによって相手を丸め込むこともできないので、双方が明確かつ論理的に主張を述べることになり、議論が活性化され、意義のある議論をすることができます。次に各論点の重要性について述べます。1点目と2点目については、これがなければ結論が出ず、目的である今後どうすべきか決めることも叶わないので、重要な点であると言えます。3点目について。結論が出たとしても、それが曖昧な議論や不完全燃焼の議論を基にしたのであっては、重要な問題点が議論で言及されていないかもしれず、その結論は良い判断とはいえないものになると考えます。議論をするからには良い判断を期待しているわけですから、これもやはり重要な点です。以上のように、私たちは、結論を求める議論にはディベートを使うべきだと考えます。

否定側質疑

2点目について聞きます。ディベートは時間のフォーマットが厳密に定まっているというのは、裏返せば議論を途中で打ち切って次へ進めてしまうという見方もできるのではないですか。

——ディベートに慣れているディベーターならば、時間内に各論点についての必要な主張を収めて述べることができますので、途中で打ち切るというようなことにはならないと思います。

同じ点で、議論全体にかかる時間も決まっているので、全体として時間が足らずに各論点の掘り下げが浅いまま終わってしまうこともあるのではないですか。

——相手に提示された各論点に適切に反論しなければ不利になりますので、掘り下げられないということはありません。

それでは、両者とも提示しなかった論点については議論されないということですか。

——それはそうですが、論点を提示する場である立論は事前に準備できるので、重要な論点が尽くされないということはあまりないと考えます。

では、次に3点目について聞きます。悪い例として詭弁やごまかしで相手を丸め込むというような話をしていましたが、単に互いに良識ある議論をするよう心がけてやればいいのではないですか。

——それが現実ではなかなか難しいわけで、第三者を説得するという詭弁やごまかしが出ない環境をルールとして作ってしまうやり方には意味があると思います。

否定側立論

私たちは、賛否両論の施策を今後どうするか決めるための議論には、ディベートを使うべきでないと考えます。プランのデメリットを3点述べます。1.議論を充分に深められない。フォーマットの定まっているディベートの特徴として、A.複数の論点についての議論が並行して進められること、B.与えられた時間を複数の論点に配分して述べること、があります。この特徴のため、ディベートでは特定の論点を掘り下げるような深い議論はできません。2.結論が是か非かの2択。ディベートのルール上の前提として、途中で考えを変えることはしないということがあります。互いに譲歩して妥協点を探ったりとか、別の策を探すような議論はできません。3.当事者が納得できない。2点目とも関連しますが、勝敗という形の結論はどちらかの主張を全面的に認めることになりますので、相手方は自分たちの主張が聞き入れられなかった、と感じるかもしれません。各論点の重要性について述べます。1点目、充分に掘り下げた議論は、良い結論を得るために必要不可欠です。2点目、現実の問題解決には、是か非かというだけでなく、当初のプランから形を変えてやるとか、まずは現状の枠組みの中でできるところから小さな改善を積み重ねていくとか、いろいろなアプローチがあります。是か非かだけでは適切な解決策を得られません。3点目、決めたことを実行に移す際には各当事者の協力が必要ですから、両者が納得の上で決めることは重要です。以上です。

肯定側質疑

まず1点目から。AとB2つの特徴から深い議論ができないという結論に至るまでの間をもう少し詳しく説明してください。

——はい。複数の論点が並行して議論が進むわけですが、その各々の論点への時間配分は議論の当事者が決めるので、一方の当事者が重要でないと考えた論点については言及が少なめになったり場合によっては全くされなかったりすることがあります。その結果、その論点についての議論は尽くされないままディベートが終わることになります。

2点目の譲歩して妥協点を探るというのは、言うのは簡単ですが、現実には平行線になって失敗することも多いのではないですか。

——そうかもしれませんが、妥協点を探るという姿勢で議論に臨めば、いちどきに結論は得られなくても、どういうところが合意できてどういうところに意見や立場の隔たりがあるのかということが明らかになり、今後の方針を決めるには役に立つと思います。

3点目、納得できないということですが、第三者である審判がジャッジするという客観性があるので、すぐに全面的に納得するのは難しくても、議論の結果として説得力のある意見が採用されたという意味での納得はできるのではないですか。

——それはそうですが、私たちの主張は、決めたことを実行に移す際に当事者が進んで協力できるような形で結論を得ることが大事、ということですので、単に議論の結果が妥当であるかどうかということではなく、自分の主張がある程度取り入れられた、という意味で納得できることが良いと考えます。

否定側第一反駁

肯定側の述べるメリットに反駁します。1点目、結論が勝敗という形で是か非かどちらかに明確に定まるということですが、私たちの立論で述べたように、現実的な問題解決には是か非か以外の別の解決策を探ることも重要ですので、いくら明確に定まるからと言って結論が2択に絞られてしまうのでは決めるための議論には適しません。2点目、時間についてですが、議論が間延びするのは避けたいことですが、ディベート以外にもこれを避ける方法はあります。例えば、ある程度論点の定まった所で、論点ごとに時間を設定して議論し、時間内に一定の成果を得られなかった場合は不一致点として次に進む、というような方法があると思います。また、全体の時間についても、何週間もかけて議論が全然進まないというのではいけないですが、各論点について互いに意見を出し切るために時間をかけることは悪いことではないと考えます。3点目、詭弁やごまかしのない明確な主張になるという点ですが、私たちの立論で述べたような、関係者がみな納得できる結論を目指す、互いに落としどころを探る、という形での議論であれば、二項対立的な構図にはならず、したがって詭弁やごまかしを使って自分の意見を押し通す必要もなくなるのではないかと考えます。また、協力して落としどころを探すような議論では、相手方の主張にわかりづらい点や不明確な点があれば適宜確認して進めることができるので、主張が不明確なまま議論が進むこともありません。以上です。

肯定側第一反駁

まず否定側の立論1点目、各論点の掘り下げについて。既に述べたように、事前の準備によって立論で重要な論点は提示されます。その上で、論点ごとに反論の機会があれば反論しないと不利ですので、各論点は必ず数回の言及を受けることになります。よって掘り下げができないということはありません。次に、あるべき結論の形について。これは否定側の立論2点目と3点目、また、今の否定側の反駁の最初の点への反駁です。2点述べます。A.中途半端な結論は問題を解決しない。否定側の主張は当事者が納得できる落としどころを探るということですが、結局のところどっちつかずの玉虫色の結論にすぎず、問題解決には繋がらないと思います。また、現状の枠組みでの小さな改善というのも言われていましたが、そのような本質を解決しない行動は、何かした気になって問題意識の低下を招き、ひいては問題解決をかえって遠ざけることになるのではないでしょうか。B.現実的な視点を取りながら主張は非現実的。否定側の主張は、現実的な問題解決を重視しています。しかし、その主張の本体たる納得できる落としどころを探るという点の現実性については、私たちの質疑に、結論が得られなくてもメリットがある、と回答されており、現実的に可能でない場合もあることを認めています。最後に、否定側の反駁の残りの2点、詭弁やごまかしの排除と主張の明確性の確保、それと、時間の問題、これらについては、否定側の主張は議論当事者の良識や取りまとめの能力に頼っているように思います。以上です。

否定側第二反駁

まず肯定側の反駁に順次反駁します。1.各論点の掘り下げについて。ディベートでも掘り下げはある程度可能ですが、論点ごとに時間をとって掘り下げれば、より丁寧により深く掘り下げることができます。2A.結論のあり方について。ご指摘のように妥協的結論によって問題解決が達成できないような環境では、まして双方の充分な納得のないディベートの結果を実行しても問題は解決できないと思います。2B.確かに妥協によってまとまった成果を得られない場合もありますが、既に述べたようにそれでも小さな成果を得ることができます。そして、妥協できないような根の深い問題でディベートの結果を実行したら、禍根を残してかえって将来悪いことになるのではないでしょうか。3.良識のない当事者を想定するのなら、ルールに則って機能するディベートができるという大前提に再検討が必要になると思います。それではまとめます。肯定側の主張するメリットに沿って述べます。結論が2択で明確に定まる点は、現実的には2択ではなく互いに落としどころを探す方が問題解決の役に立ちます。間延びしない議論については、ディベートでなくても実現できます。審判がいることによる主張の明確性については、当事者間の協力的な議論によって確保できます。さらに、双方が納得できる結論を得ることは、議論の後の結論の実行において協力が得られるという点でメリットがあり、これはディベートでは得られないものです。以上です。

肯定側第二反駁

否定側の反駁に反駁します。1.各論点の掘り下げについて、丁寧に深く掘り下げられると言っていますが、根拠がありません。ディベートは議論のフォーマットとして適切になるよう設計されているので、掘り下げの点で不十分になるということはないと思います。2.A, Bともに、否定側の反駁は、同様の状況でディベートを実施した場合、という仮定に基づいていますが、この仮定について否定側の主張のように悪い結果を生むということは、必ずしも明らかではないと考えます。3.良識のない当事者であっても、ディベートではルールから外れれば負けることになるのですから、ルールに従うインセンティブが発生します。従って、ルールに則ったディベートができないというようなことはありません。次に、メリットとデメリットを比較します。ディベートの大きなメリットは、明確な結論が出せることにあります。否定側はディベートの出す結論は2択であってこれでは現実の問題解決に役立たないと言いますが、否定側のいう互いに納得できる落としどころというのも、必ずしも現実の問題解決に役立つとは限らず、妥協できずに結論が出ないこともあるので、ディベートのメリットは大きいと考えます。また、間延びしない議論をすること、詭弁やごまかしのない明確な主張がなされること、これらの点は、ディベートでは、議論当事者の良識や能力に依存することなく、ルールによって確保することができます。以上のことから、結論を出すための議論にはディベートを使うべきです。