#東大ぱてゼミ (3の2)
たまには授業への応答をば…。
#東大ぱてゼミ
— Génial森(じぇにある) (@murasakipotato_) 2018年10月11日
このindividual/dividual の話どこかでやったなと思った気がするんだけどいつぞやのセンター国語のリカちゃんの回じゃない?
これは平成28年度大学入試センター試験(本試験)の国語の問題のことである。大学入試センター試験の問題は過去3年分がウェブサイトで公開されているので、平成31年度の試験が実施されるまではみることができる。
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00007079.pdf&n=2801-0101+kokugo.pdfまあせっかくよい文章なのに作問がアレで問3とか問4とかこれどれも不正解だなあという気持ちなのですがそれはともかくとして、ここで述べられていることをまとめると、特定のコミュニティの中で「キャラ」を演じることによって人間関係・コミュニティを行っていくというありかたが広まっている、ということである。さらに、「アイデンティティ」と表現されるような一貫した人格へのオルタナティブとしてこうしたありかたが登場してきたのだ、ということも述べられている。
キャラ (コミュニケーション) - Wikipedia https://t.co/P8oVV1nK3M #東大ぱてゼミ
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) 2018年10月11日
なおここで「キャラ」という言葉が使われていることは、その人格(の特徴づけ)がコミュニティの中という特定のドメインでだけ運用されるということを、物語という特定のドメインの中でのみ存在する物語の登場人物になぞらえたものとして理解される(ってWikipediaに書いてあった)。
このあたりのことを考えると、ぶっちゃけ「遅刻するから遅刻魔なのであって、遅刻魔だから遅刻するのではない」というのは怪しい気がしてきて(あるいは、近年崩壊してきている、といってもよいかもしれないが)、遅刻魔の例だと遅刻魔認定されることによってむしろ遅刻されることがあらかじめ折り込まれているという状態が作られるので遅刻しやすくなるということが想定される(実況での指摘)。あるいは別の例を示すと、「文系だから数学できません」みたいなのも挙げうるだろう。いずれにせよ、近年指摘されているような「キャラ」先行のコミュニケーションは、特徴の抽出という意味でのキャラクター概念を外れたものとして理解することができると考える。
いっぽうで、キャラに代表されるコミュニケーション様式が広まっていくなかでも、アイデンティティの確立がなお必要とされる、という感もある(青年期の課題としてアイデンティティの確立を述べるのは、エリクソンの発達理論)。センター試験の引用元(土井隆義)では、「内キャラ」という言葉で類似の概念が語られている(らしい;読んでいないので…)。いずれにせよ、人間の人格にはたぶんなにがしかの形で一貫性を保っていること、同一性を保っていることが必要なのだと思う(いわゆる多重人格のことを、医学的には「解離性同一性障害」と呼ぶのだった)。
さてそれで、現実の人間はそれでも肉体をもつというひとつの同一性があるけれど、キャラクターの場合はそうではない。物語のというか創作されたキャラクターは、それがひとつのキャラクターである、ひとりの人物である、という認識を得るために、積極的に一貫性をもってえがかれている、というのが授業での論旨だった。そして一貫性を実現するための実装として、「○○キャラ」というような属性ベースのキャラ描写などが挙げられようが、物語・創作においての技術的な工夫がさまざまある。でもって、しかしながら初音ミクは、たとえば属性をもたないようだ、とか、そういう「キャラクター」としての一貫性のための従来の手法をあまり実装していないように思われる。そして授業では、それでもなお「初音ミク」というキャラクターが認識されるのは、従来のキャラクターリテラシーの上にあるからであり、その意味で初音ミクは「ポストキャラクター」である、と述べられたのだった。
初音ミクに関係してもうひとつ述べておくと、従来のキャラクターは、物語の中にあって、そのことが一貫性を実現するための大きな助けとなっていたと思うのだ。仮に性格が変わっても、物語の中でそれがきちんと説明されていれば、ひとりのキャラクターとして認識することができるということである。そして初音ミクは、もはや特定の物語を持たない。この点にも、初音ミクというキャラクターの特異性を見出すことができる。
というようなわけで、ようするに初音ミクというキャラクターは、キャラクターとしての一貫性を確保するために従来用いられてきた手法からことごとく逸脱して、それでもなおキャラクターとして成立する、ということを示している。
(物語やコミュニティのような)ドメインを限らなくても、肉体を持たなくても、人格の同一性を確保できる。じゃあ人間だって肉体を捨ててもいいんじゃないかという気がしてくるよね。
おじさんが心の中の美少女に気づくとき~VRが導く「外装からの逸脱または解放」 - Togetter おじさんの心に芽生えた「美少女」 VRがもたらす、もう一つの未来 - withnews(ウィズニュース)うーんまあバーチャルYouTuberがどうなのかというとちょっとびみょい気もしてよくわかんないんだけど、VRChatとか考えると(VRChatなんか下火っぽいけど)、アバターをつまり外見を簡単に乗り換えていくことができるようになるわけで、しかもここでいうアバターというのは数百ピクセルのアイコンなんかではなくて五感の得る情報量が現実の人間と同じくらいある(まだそうなってはいないけれど、そうあることが視野に入ってはいる)、そうなったもとでもなお人間として成立していることが脅かされないというのは、どうも初音ミクが土台にあるといっていいのではないかと思う次第なのです。
(ちなみにVTuberの土台に初音ミクがあるというのはこの記事の著者丹治吉順氏がちらほら言っていることだったりしますが、これはたぶん、個人クリエイターが作品をつくるという文化とか、作品が受容されるにあたって過去の作品が文脈としてあるとか、という路線かなあと思う)
おまけ。
スロウスタート Step7「ぐるぐるのてくび」 (23:44) https://t.co/UeMbI4kQiv #so32742517 #nicoch
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) 2018年2月20日
栄依子、自分を常に演出しているタイプの、そうやって自分を演出して生きることがいちばんの自然体であるようなそんなかんじの
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) 2018年2月20日
リアルタイムで相手の反応をフィードバックとして得てキャラクターを調整しているようにも見える。そしてたとえば冠の前だと意識的に幅を広げるみたいな。
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) 2018年2月20日
ひっくり返せば、「おとなっぽい」は彼女の本質の表現としては不十分で、みんなの前で出せるキャラの最大公約数として顕れている、とかそういう…
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) 2018年2月20日
そうやって改めて考えてみると、かむの「高校デビューってやつなんだと思ってた」の深みが増しますね(ろくろ) https://t.co/sBCbBUazXR
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) 2018年2月20日