葬送のフリーレン感想
葬送のフリーレン(2話まで)感想:一部のアニメだけに纏うことが許された上質な空気感がこの作品を下支えしていると思うのだが、それを語っただけでは評価したことはならないだろう。私が惹かれたのはたぶん、
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) November 5, 2023
フリーレンやフェルンが、自身のなかに確固たる認知やメタ認知を(矛盾するようだが、それが曖昧模糊としたものであっても)持っていて、それをやたらと表出させることはしないまでも、問われれば自らの言葉で、伝わろうと伝わるまいと表明するあり方……なのかな。
— 竹麻呂 (@Takemaro_001) November 5, 2023
つづき(13話まで、実質は10話あたりまで)。
「勇者ヒンメルの死から28年後」というテロップ⸺その起点はなぜ「勇者ヒンメルの死」でなければならなかったのか。
それなりに高度な社会構造を持ち、科学技術はさておき魔法技術を持つあの作品世界の中で、暦が存在しないということはないだろう。とはいえ、一つの暦法が使われる期間はけして長いとは言えないので、フリーレンにとってそれはころころ変わる大して意味のないものかもしれない。標準的な紀年法が使われていないことはこのようにして説明を付けることができる1 。しかしそれでも、起点となる時点の選び方には自由度がある。なぜ他の時点ではなく⸺たとえば魔王が打ち倒された時ではなく⸺勇者ヒンメルの死なのか、という問いは残る。
本作はフリーレンとフェルン(そして後にシュタルク)の旅路をメインの時間軸に据えながらも、たびたび回想が差し挟まれて、並行してヒンメルら勇者一行の旅路を辿る旅のようにもなっている。そしてそのフリーレンの回想は、現実世界におけるヒンメルの不在によって視聴者の感情を際立たせるものとなる。そんな二重写しの行程、それは長い長い弔いのようだ。
リュグナーは「歴史上で最も多くの魔族を葬り去った魔法使い、葬送のフリーレン」と言った(第8話「葬送のフリーレン」)。いわゆるタイトル回収に見える。しかし本作の主人公はフリーレンであり、フリーレンと魔族の対立構造もまた深く根ざしたものであることを考えると、果たしてタイトルの意味を魔族の視点によって語ることは本当に妥当であろうか。むしろヒンメルを静かに弔い続けるようなあり方をこそ指して「葬送」であると考えるべきように思う。
本作の主題がそこにあるとすれば、その時間の起点が「勇者ヒンメルの死」であることはむしろ必然である。フリーレンにとって、その時点がいかに決定的なものであったか。1000年という時のなかで。それは我々人類が想像するにはとても及ばない。その途方もないスケールの感情が物語の中に淡々と見え隠れするのがたまらない。
「ヒンメルが出てくるんだ。てっきりまた先生が出てくるものかと思っていたけど。」
- 1. もちろん、作品として考えたときに、暦による表記はどのような形を取るにせよ情報量としてノイズになる、ということもある。ハンバーグに関する議論などと関連する問題設定で、面白くないので詳細は割愛。