生きることは忘れること

安達としまむら

きょうはそんなに分量を書けなさそうなので、眠っていた下書きを整形することをもってエントリとする。そんなわけで、つい最近「SS」と「99.9」が出たが、8巻とか9巻のころに考えていたことで、それも結論まで至っていないとっかかりたちを集めたものである。

(6巻までの)本作の基本的な構図を単純に図式化すると、安達が一直線に突っ走って転び、しまむらに呆れられるというものである。そのアンバランスさや危うさをしかしコミカルに描いているところが魅力とまずは言ってもいいだろう。ただ、それは分かりやすいが、しまむらサイドの、しまむらから安達への感情もけして無視できない。

しまむらを語るキーワードに「優しさ」と「寛容」があると思う。安達から見ると(2巻68ページ、2巻192ページ)、しまむらは「寛容」ではあるが「優しい」のではない(ただし、しまむらの祖母はまた異なる評価をしている。6巻105ページ)。「寛容」は受動的だ。先に相手があり、その行動なり思いがあって、その上でそれを受け入れるということだからだ。それが上で述べたような単純な図式の印象につながる。

だがそれだけでいいのだろうか。しまむらは安達だけではなく樽見とも親しい関わりを持っている(本作の途中から持つようになる)が、それは安達としまむらの関係のようには発展していかない。受動的と言っても、なんでも・誰でも受け入れるというわけではないということだ。そして、そんなしまむらの「寛容」さと相容れる関係を構築できるのは安達だったのである。あるいは、

返事がどこか曖昧だった。私は肩を狭めたまま、来ないのだろうかと不安に曇る。
あれはまだかな、まだかなと。そわそわしながら、じっと待つ。
そして。
「ま、いいか」
魔法の言葉が、私の不安をすくい取る。

(4巻172ページ)、ここでは、安達がしまむらの寛容さを意識し、そしてそれを前提としてアプローチしている。そこにこの2人の関係性がある。

「その子はいつもわたしを遠くに運んでいくんだ」

(10巻122ページ)

畢竟、しまむらから見た安達とはなにか。


などと考えていたところ、「99.9」所収の『  と    』の直撃弾を食らっております。

『安達としまむらSS』『安達としまむら99.9』本日発売ですー pic.twitter.com/1qDhVwdkoc

— raemz | 日曜東A17b (@weee_desu) November 10, 2023

それも既にこれの時点で既に致命傷だったところに。

現場からは以上です。