「さいごのソリスト」という結末:黄前久美子の辿り着いた物語
アニメ3期12話「さいごのソリスト」は、原作最終楽章とは決定的に異なる展開を描いた。滝は全国大会でのユーフォニアムのソリを部員全員によるオーディションで決めるという結論を出し、久美子の要望によってそれは奏者が特定できない形で行われる。そして、高坂麗奈の最後の1票が黒江真由をソリストとして選出する。
このストーリーの差異は、この回単体ではとても解釈できるものではなく、それまでの原作とアニメとの差異を丁寧に積み重ねてはじめて成立している1。アニメにおけるオーディションの結果に説得力を持たせる材料という点に絞って議論してみると、大きく3つ挙げられるだろう。
第一に、真由の「自分がない」2という性格付け。おそらくその帰結が「上手いというか、勘がいい。滝先生の求める音をすぐに理解して、それに合わせて吹くことができる。」3という麗奈の評につながっている。久美子と真由の演奏に対する麗奈の評価は、1話では「久美子の方が上手い」、5話で「私は久美子の方が好きだけど」、8話で「私じゃなくて、久美子。練習のとき滝先生から注意されることが多くなってる。黒江さんは全然ないけど」と変遷しているが、真由を自分がないから周りに合わせられるのだと性格付けるのであれば、北宇治で過ごす時間が長くなるほど周りからの評価が高くなるのは納得できる。
第二に、久美子が進路で迷っていたこと。原作最終楽章では進路は物語の展開とそこまで大きく関わってこない節があるのだが、アニメ3期ではそうではない。5話の「ふたりでトワイライト」を代表に、音大へ行くかどうかという迷いと、麗奈の隣に立ってソリを吹きたいという望みが絡み合い、進路の問題は物語の通奏低音をなしている。そして久美子自身の「音大じゃないって思い始めたときからの迷い、それがわずかでも音に出た」4という総括につながる。その説得力は、求に対しての自らの発言「気持ちは演奏に出るよ」5によって補強される。
第三は真由のモチベーションである。原作最終楽章では、オーディションの前に久美子が演説をする6が、それは「刺さらなくてもいい」7もので、実際おそらく真由には届いていない。原作『みんなの話』で奏も同じ疑念を持っている8。そして『みんなの話』で真由は、全国大会のオーディションで久美子がソリに選ばれたという結果について、「久美子ちゃんが麗奈ちゃんと絶対に一緒にソリを吹きたいと思うほどの気持ちが、私にはない」という「熱量の差」を滝が見抜いた、と推測している9。一方でアニメではどうかというと、オーディションのまさに直前、久美子と真由は一対一で会話をしている。真由と昔の自分が似ているという感覚を前提に、「わざと下手には吹けない。頼まれて辞退はできても、自分から下りることはしたくない。演奏に、嘘はつきたくない」と真由の感じているところをあててみせ10、「少なくとも、真由ちゃんの演奏は、どうでもいいって思ってる人の演奏じゃないよ」「同情も、心配も、遠慮もいらない。真由ちゃんも、自分の信じるもののために吹いてほしい」と正面から語りかける。真由の方でも、釜屋つばめの「演奏してる真由ちゃんが、本当の真由ちゃんな気がするから」11という言葉を背景に、得るものがあった様子である。原作とは違い、真由が久美子の言葉を受け止め、そして真由なりにオーディションで演奏する理由を持っている12。これがあってこそ、真由が選ばれるというオーディションの結果に説得力が出てくると言えるだろう。
ところで、ここで久美子が真由に語る内容の基礎となっているのは、3期11話での奏の指摘である。奏は「本当に辞退するつもりなら、そもそも話になんか来たりしませんよ。私が、そうだったように……。黒江先輩は、わざと言いに来てるんです。久美子先輩に、辞退してほしい、ソリを譲ってほしい、そう言わせるために」と強い口調で述べる。それは奏にとっては久美子に対する「侮辱」で、真由を「無視した方がいい」理由なのだが、奏の思惑とは裏腹に久美子はそうは受け取らず、別の形で物語の展開につながっていく。「私のわがまま、真由ちゃんの、わがまま……そうか……」13。すなわち、真由の辞退という行為に相応の理由付けができることに気付く。「わざと下手には吹けない。頼まれて辞退はできても、自分から下りることはしたくない。演奏に、嘘はつきたくない」。この会話を経て、真由がソリに選ばれる。
この時点での構図は、同じく3期11話、「最後に高坂さんと一緒にソリを吹きたい。それが久美子ちゃんの本心でしょ」「私の本心は、公平にオーディションで競い合いたい。それが正しいと思って3年間頑張ってきたから」という二項対立に集約されている。そして、久美子と麗奈の会話で何度も確認されているように14、久美子は前者についても強い想いを持っている。
原作最終楽章は、物語の中で提示されていた数々の要素を終盤で畳みかけるように解決する、という構成になっている。一方アニメ3期では、1話の長さに合わせて話数ごとに焦点をあてるテーマを変えながら物語が展開しており、たとえば部長としての久美子という要素は9話・10話(あるいは3話15)で描かれ、11話・12話では中心的なテーマとしては描かれない。あるいは、滝への不信という要素16は、アニメでは巧妙に前景化されない。そのようにして、ここでこの二項対立の構図に焦点があてられる。
その上で、久石奏の言葉をきっかけとした真由との会話でそれは徹底的に突き詰められ、結果として、「公平にオーディションで競い合いたい」はこれ以上ない形で実現される一方、麗奈と一緒にソリを吹くことは実現しない。原作と違ってアニメの物語においてこの二項が両立することはあり得ず、そこに至るターニングポイントに久石奏の存在があるということになる。
その奏は、久美子が「これが、今の北宇治のベストメンバーです! ここにいる全員で決めた、言い逃れのできない最強メンバーです!」と堂々と宣言するのをよそに、1期11話の吉川優子を想起させる大泣きをし、「先輩に吹いてほしかった」「奏ちゃんは実力主義派じゃなかったの」「それとこの気持ちは別です。私だって最後に久美子先輩と吹きたかった。でも、あんなの見せられたら、前向くしかないじゃないですか」と割り切れなさを表現している。努力は報われるとは限らない、その悔しさと向き合えって前へ進めることが“強さ”なのかもしれない。
そして、黄前久美子自身もまた悔しさという籠に囚われ続けるという結末で、物語は閉じる。
- 1. たとえば https://x.com/Stefan_N_P/status/1827470994757611946 以下の連続投稿なども参照されたい。
- 2. 3期7話
- 3. 3期8話
- 4. 3期12話
- 5. 3期4話
- 6. アニメではこの演説は関西大会の前に移動されている。それは以下本文で述べるようにオーディション前の一連の展開が改められているからということもあるが、関西大会での全国進出という結果にアニメなりの説得力を持たせる効果もあっただろう。もちろん原作でも何の脈絡もないわけではなく、「全国大会に出場して、久美子先輩にもう一度チャンスを」(最終楽章後編204ページ)あたりがあるのだが、アニメではこういう構成の方が明確になる。
- 7. 最終楽章後編326ページ
- 8. 『みんなの話』110ページ
- 9. 『みんなの話』114ページ
- 10. 真由と昔の久美子が似ているという話のときに引き合いに出しているのは、中学のときのオーディションで先輩を差しおいて自身が選ばれたという過去だ。だからこれはきっと、中学のときの久美子の経験なのだろう。
- 11. これは真由の「自分がない」という自己認識と完璧に対応している。
- 12. つくづく久美子は敵に塩を送りすぎである。
- 13. 「わがまま」は3期10話のあすかとの会話を受けている。原作では「エゴ」という表現が(もっと頻繁に)使われる。
- 14. 5話「私、全国で久美子とこのソリを一緒に吹きたい」「私も」、6話「私、ソリは全国まで私たち2人で吹きたいと思ってる」「うん」、8話「言っとくけど、私は全国も、久美子と吹くつもりでいるから」「ありがと」、9話「ソリ、一緒に吹きたいと思ってたんだけど」「まだ全国があるでしょ」、12話「麗奈はもし私が負けたら、嫌?」「嫌。私は最後は、久美子とソリ吹くって決めてるから」。ただし、むしろ麗奈の方が前のめりに見える部分もあることも注意が必要である。
- 15. 「吹奏楽部ってさ、人多いし、初心者も経験者もいて、考え方もいろいろあって、どれか一つだけが正解って見つけるのは、すごく難しいなって。⸺そうなんだよね。だから部長って多分、みんなのいろんな気持ち、まとめるためにいるんじゃないかって、思う」。これに相当する台詞は原作最終楽章前編の対応部分には存在しない。
- 16. たとえば、「滝は、完全に客観的な視点で求という人間を評価したのだろうか。」(最終楽章前編248ページ)、あるいは「いちおう確認ですが、滝先生は黒江先輩が三年生だから気を遣ってソロにしたのではないですよね? 三年生を一人ずつ演奏させて、思い出作りさせてあげようと考えているとか」(最終楽章後編151ページ)など。