生きることは忘れること

やがて君になる

感想は変わるから書かなければいけないってばっちゃが言ってた。

関係性の変化、それもゆっくりとした変化の時が過ぎて気付いたら違う場所に来ているというが最高であるのですが、各巻の表紙が端的にそれを表現していて表紙を見るだけで感情になりますね。特に3巻、5巻、6巻を挙げたいと思います。

3巻4巻あたりの関係性が特に好き。3巻83–89ページあたりとか、4巻78–82ページとか……。

あとは関係性というところでいうと、8巻42話43話あたりとか。端的には8巻95ページ。

メディアミックス比較の論をときどきしていますが、やがて君になるの場合、アニメのこの終わり方をどう考えるかは難しい気がします。1クール単位で切らなければならないとしたらあそこしかあり得ないのは大変よくわかるし、きちんとシーン追加で調整が入れられてもいるのですが。もっと積極的な解釈としては、「そろそろ乗り換えですよ」はダブルミーニングとして読めて、そうするとこれは22話(アニメ12話)ラストを起点とする転換が確定的となった瞬間なのであって、そこで終わるというのは(物語そのものとして完結しているとはいいがたいにせよ)物語の構造として一応完結しているということはできないか。


アニメ12話Bパート、侑の部屋でのシーン。アニメという表現の強さ……。

12話Bパートではもうひとつ、駅前のシーン、漫画(4巻22話)になかったワンカットが足されていて、これがまた良いんですよね……。


6巻後半(以降)の七海燈子について。6巻114ページが本質的に影響しているのではないかと考えている。つまり、演じるということについて、小糸侑は「先輩がお姉さんみたいになりたいと思うならそれでもいい」(5巻160ページ)と言ってはいるのだが、七海燈子は「何も持ってない私が何者かになるには 誰かに成り代わるしかないと思ったの でもそれは違ったんだね」(5巻139ページ、166–167ページ)を受け取ってしまっているのであって、そして、仮に転換を受けいれることができたとしても(または、受けいれるにあたって)、それまで生きてきた過去は覆らないのであって、そこに対してどのような評価を貼り付けるかというのは実はとても重要なことであるはずだ。


1巻オビと8巻オビ、1巻5話と8巻40話。2巻8話9話と8巻42話43話。

1巻15ページと5巻25話。

1巻3ページと7巻164ページというのはどうだろうか。