生きることは忘れること

舞台探訪について

pic.twitter.com/T3C24ldwUR

— 竹麻呂 (@Takemaro_001) December 13, 2023

舞台探訪1の楽しみは何より、作品に登場する場所の空間的な広がりや位置関係を感じることができ、それによって新たな作品理解の可能性を開くことができることにある。別にスクリーンショットと写真を並べて一致度を競う競技ではないのである。

「響け!ユーフォニアム」シリーズでいうと、舞台となる宇治市に赴くことで、宇治駅、久美子のマンション2、久美子ベンチ、麗奈の家3、といった地点の位置関係、その間の道々を身体で掴むことができる。たとえば宇治駅を出た後久美子と麗奈が別れる場所は意外と駅の近くであり、1期5話「黄前さんらしいね」に至る会話の印象、そこにおける久美子の感情への感覚を考えるにあたって一つの要素になるように感じた。あるいはもっと抽象的に、家から駅、電車、再び歩いて学校、その距離感、生活のリズムが思考を規定する、そのさまに思いをいたすことで久美子に対する想像(妄想)を深めることができる。ところで誓いのフィナーレの序盤で久美子と秀一がブランコに乗って話しているシーンの公園について。


さてここからが本題。

「お姉ちゃんがいたから私、ユーフォ好きになれたよ」………… pic.twitter.com/CzQCnlAH7Y

— 竹麻呂 (@Takemaro_001) December 13, 2023

このシーン、タイルの仕上げの境界(写真では見づらいけど奥の方)を挟んで2人が立っていて、さすがユーフォという細かな映像表現で関係性が表現されていて最高なんですよね……

— 竹麻呂 (@Takemaro_001) December 13, 2023

訪れたことのある方には冗長な解説となるが、普門館から移されていらい全日本吹奏楽コンクール(全国大会)の会場となっている名古屋国際会議場(センチュリーホール)は「コ」の字型の構造をしており、中庭のような建物に囲まれた屋外空間がある。そして「コ」の字でいう右側の部分の2階が出入口になっている。久美子が麻美子を追いかけるシークエンスで、建物に入って階を上がり外に出る、という流れはそういうことなのである。ここでドアを隔てることは吹奏楽部の部員と一度離れることを強調し、上に上ることは大人になる(なった)ことやそれを追いかけることを印象づける効果があるかもしれない。

ここから無理解釈のターン。名古屋国際会議場の最寄り駅は、名港線の日比野駅と名城線の西高蔵駅の2つがあり、どちらも徒歩5分である。両線は隣の金山駅で合流して直通運転しているので、どちらを使ってもほとんど差がない。黄前麻美子が向かったのは2つのうち日比野駅の方向である。ほとんど差がないと述べたが、駅へと向かう道のりを比べると議論できる点はある。これが日比野駅へ向かう道である。

歩行者が歩きやすいように整備されたルートとなっている4。いっぽう西高蔵駅へ向かう方向はこんな景観である。

比べるとこちらはやや地味な感じが漂うように思う5。そこでこう言いたい。これらの設えの違いから、日比野駅へ向かう方がこの場所の“表玄関”であり、黄前麻美子は全日本吹奏楽コンクールを、吹奏楽を表玄関から去っていったのだと。失敗も後悔もきっとあれど、それでもきちんとケリをつけることができたのだと。


高坂麗奈………… pic.twitter.com/sSuy1J5vEW

— 竹麻呂 (@Takemaro_001) December 13, 2023

  1. 1. 「聖地巡礼」という言い方の方が一般的であるが、筆者は緩やかに「舞台探訪」の方を好ましく思っており、ここでもその語を採る。理由は、「聖地巡礼」からは大小あれど“やった方が徳が高い”といったニュアンスが読み取れてしまい、作品や舞台を楽しむ目的ではなくオタクのマウント道具としての目的による過熱を誘発する可能性を孕んでいるように思われるからである。「聖地」も価値中立的な表現ではなく、盲目的なラベリングに堕してはいまいかという疑問が拭えない。
  2. 2. 実際は存在しないが、場所はファンにより“特定”されている。
  3. 3. これまで外観が映されたことがないので正確な場所は分からないが、物語上の描写からおおよそのエリアは推測できる。
  4. 4. この議論には大穴がある。すなわち、写真に映っている屋根は放映当時には存在せず、後に作られたものである。だから無理解釈なのであるが、しかしこの屋根が存在する現在においては可能な解釈であることも間違ってはいないと思う。
  5. 5. 写真が暗いのはわざとではなく撮影の都合であるから割り引いてごご覧いただきたい。